Ave Maria
どうして、こうなっちゃたんだろう?と祐巳は首をかしげて
赤いスポーツカーの後部座席にいる。
昨日、祐麒にかかってきた電話…それは彼の先輩、柏木さんだった。
今、その柏木さんの車の中にいて、どこかへ向かっている…
「ねぇ?祐麒?」
助手席に憮然として座っている、弟の祐麒麟に声をかけてみた。
「ん?何?」
「これからどこへ行くの?」
不安げな気持ちは隠せない…でも、祐麒ったら、なぜそんな平気で?
「それはね、祐巳ちゃん…ひ み つ だよ♪」
運転中なのに後ろを振り返って答えたのは、柏木さんだった。
「先輩〜!前!前!」
と、祐麒は大声をだした。
「あ、ゴメン、ごめん…」
祐巳に軽くウインクして、目線を元に戻した彼だった。
小高い丘の上、小さな教会がある。
今日はイエズス様のご生誕祭…教会から微かに聞こえて来るのは
賛美歌…そしてクリスマス・キャロル…
「さぁ〜着いたよ!降りて降りて!」
以前の運転とは別人だった…柏木さんったら運転が上手になったのかな?
それとも…奇跡?
「教会?…」
でも…今日はクリスマスだからね…だからと言って…分からないなぁ?
「じゃあ〜祐巳ちゃん。ここからはひとりで…ね♪」
と、柏木さん、教会の扉を指差した。
「え?…」
ふと不安になって、祐麒の方を見ると彼も微笑んでいた。
「きっと良い事あるから!」
祐麒はそう言って、姉の背中を軽く押すのだった。
不安な気持ち…でもドキドキするの…
扉の向こうには、何があるの?そんな事を思っている時だった。
聞き覚えのあるメロディーが、彼女の耳に届く
アベ・マリア? そうよ!
オルガンの調べ…そして近所の子供たちだろうか、歌声が響く。
思い切って扉に手をかけ、開けると…
お、お姉さまっ?!
教会のオルガンを演奏していたのは、まぎれもなくお姉さま…
扉の近くの椅子に腰掛けた…何だか急に力が抜けていくのを感じた。
そして、祐巳はオルガン奏者を目で追い続けた…
それはまるで初めて小笠原祥子を見た、あの日と同じ感覚…
それはまるで自分の中の優しい想い出を、見つめているよう…
お姉さまと出会った時の事、今でも忘れてないわ…
胸がジンワリと熱くなる…そしてどうしてだか涙がこぼれてくる。
そのままじっと…このままずっと聴いていたい…
祐巳は、そう思った。
お姉さまの声が聞こえる…祐巳は顔を上げた。
「お、お姉さま!」
「良かった♪何だか下を向いていたから…」
気分でも悪くなったのかしら?と祥子は言った。
「い、いえ、大丈夫です!でも…」
でも、どうしてお姉さまがここに?と祐巳は尋ねた。
「ええ、それがね…」
何でも急に柏木さんからのお願いで、ボランティアしてほしいって
そうお願いされたそうだ。
「あっ!だから…」
だから、祐麒と柏木さんったら…そうなのか!
「祐巳?どうしたの?」
不思議そうに祐巳の顔を覗き込む祥子、それから
「メリークリスマス♪祐巳♪」
なんて綺麗な笑顔なんだろう!祐巳は思った。
「メ、メリークリスマス!お姉さま♪」
「ああ、いけないわ…祐巳に渡すつもりのプレゼント…」
急なお願いだったので、それとまさか祐巳に会えるとは思ってなかったから
「いいえ、お姉さま、ちゃんと頂きました♪」
ありがとうございます、と祐巳は頭を下げた。
何の事か分からない、祥子…「え?あげたかしら?」
ええ、ちゃんと受け取りました!
お姉さまから
そして弟の祐麒から…あっと柏木さんからもね。
そんな事を思いながら、クスっと笑う祐巳。
みんなにありがとうを言いたい。メリークリスマス♪
オルガン終わり。
外で待っている、男ふたりは…
「なぁユキチ、良い事をするって気持ち良いよねぇ〜」
柏木先輩は、そう言ってさり気なく祐麒の肩に手をまわすと
「センパイ…止めようよ、コレ」
そう言って、めんどくさそうに彼の手を振りほどく
「あ〜あ、ボクには、ささやかなプレゼントも無いのかい?」
「無いですよ…」
でもまんざらじゃない…だって今日はクリスマスだから。