今夜の月は

 風にそよぐ群生の花に酔うて
自分がどこにいるのか、判らなくなる。
風の向きに合わせて、花弁をゆらせて
香りが鼻腔をくすぐる。
「ここは、どこだ?」


なんてね、ここは正しく他力本願寺の境内の中
その中の庭の一部なんだけど、幽玄な空間のように
見事に咲き競い合う、花たちの宴を見て
普段は鈍感な俺でも、こんな風に思い馳せてしまう。
それにしても、心地良い風が吹いている。


小さな花、秋桜を一厘持たせて、君を撮りたいなぁ。


とても絵になると思った。そんなある日の朝。




「じゃあ、お姉さま〜行ってきまぁ〜す!」
家ではとても見れない、おめかしをしたスクルド
一番のお気に入りのワン・ピースを纏ってご機嫌だ。
玄関の框の前、ベルダンディーにそう告げると
くるりと踵を返して、いざ出陣と相成る。
「あ、ちょっと待って、スクルド
ベルダンディースクルドを呼び止め、掌から小さな
髪留めを取り出した。
白い色をした髪留め、マーガレットの形をした。
スクルドの前髪をすくい、そっと取り付けた。
「これで完成ね。とっても可愛いわよっ」


不思議な魔法にかかったような気持ち、しばし呆然と
していたスクルドは、姉の満面の笑みを見て
ジワジワと喜びがあふれてくるのを感じた。
玄関にある小さな鏡に、スクルドは覗き込むようにして
髪留めを確認した。
「わっ!これって、とっても可愛い〜!」
驚きの瞳、大きく丸くなる。
くるりを回って、もう一度自分の顔を確認した。
「う〜ん、あたしって、ステキー!」


「仙太郎君にもよろしくね、それと…」
ベルダンディーは真摯な面持ちで言った。
「それから、楽しんでいらっしゃいねっ」
そう言うと、また笑顔に戻った。


「はいっ!お姉さまっ!」
元気にそう答えると、一目散に駆け出して行った。
「いってらっしゃい〜」
スクルドの姿が正門から消えて行くまで手を振って
送り出したベルダンディーだった。


仙太郎君の通う学校の運動会が催される今日
彼の応援にと、以前から約束していたスクルド
指折り数えてその日を待っていたのだが、漸くその日が
来たと言う次第であった。
良く晴れた日曜、日本晴れとまでは行かないまでも
どこまでも青く、遠く、空は澄み切っていた。



しばらくして、それは朝と言うには遅すぎる時間に
ようやく起き出したのはウルドであった。
「ふぁ〜 まだ眠いわぁ...」
うーん、と伸びをしながら螢一の部屋の前を通り、角を
曲がり、居間の前、みんなのティールームに到着した。
ちゃぶ台の前に、よいしょっと胡坐座りをしたウルドは
おもむろに厨に向かって声を掛けた。
ベルダンディー、ちょっとお茶くれない?」
その姿、まるでどこかのオヤジのようだが、彼女は
れっきとした女神さまっであり、とても妖艶な女性である。
寝巻き姿のままなので、どことなく乱れた洋装は
色気があるのだが、仕草がやはりオヤジ臭い。


「はぁ〜い、姉さん ちょっと待っててね」
厨から聞こえる妹の声、ベルダンディーの声に、うむと
相槌を打つ仕草をするウルドであった。


螢一は、似合わぬ思索をしていた庭から帰ってくると
玄関から居間、そしてみんなのティールームを越えて
風呂場まで行こうとした。手を洗い、喉のうがいをする
為なのだが、その間、ウルドのオヤジっぽい様相を見て
溜息を付くのだった。
パッと見は、本当に麗しい女神さまっなんだけどなぁ
なんでアイツは、あんなにオヤジ臭いんだろうか、と
悩んでしまう。
君子危うきに近寄らず。これは先代の叡智ある言葉だが
言い得て妙だな、と変に納得する螢一だった。
手を洗い、うがいを終えて、みんなのティールームへと
足を伸ばした螢一は、ウルドの横に座って、彼女を
チラリと横目で見た。剣呑剣呑、このまま黙っていよう。


それにしても、さすがに妖艶なお姿だ。
はだけた胸元からは、ダイナマイトなボディが見え隠れ
しているし、切れ長の目は、セクシーそのもの。
黙って座っていれば、騙される男性諸氏も多かろうと
螢一は心の中で、見知らぬその男共に「ご愁傷さま」と
つぶやいた。


「何よ?」
「ん?何が?」
「今、あたしの事、見たわよね?」
「見てない、見てない」
「うそだわ」
「うそじゃないっ!」
「何アセってるのよ?」
「アセってないって!」
しばしこんな問答が続いた。さすが時の守護神の長女だ。
何故だか心を読まれたような気がする。気がするが
それはともかく、ウルドの事なんぞ、どうでも良いと
この疲れる問答を切り抜けたい螢一だった。


「あ、螢一さんっ おかえりなさいっ」
「うん、ただいま ベルダンディー
救いの女神の登場である。
「姉さん、はい、お茶ですよ」
「ありがとー」
そう言いながら、湯飲みに手を出そうとしたウルドに
「でも姉さん、起きたならちゃんとした格好に着替えて
くださいね」
と釘を刺したベルダンディーであった。
「はいはい」と嫌々ながら返答するウルドは、続けて
「そうそう、今夜は帰らないからね」と続ける。


「出掛けるの?姉さん」
螢一の前に、彼専用の湯飲みを置いたベルダンディー
不思議そうな顔をしながら、ウルドを見た。
「まさか…また天界に何かあったんじゃ…」
少し不安げな妹、ベルダンディーの気持ちを察して
ウルドは溜息混じりに言う。
「そんな大層な用事じゃないって、私用なのよね」
大丈夫だよ、と言葉にはしてないが、表情が柔らかくなる
ウルドは「ちょっとね、デートってヤツかな?」と
ベルダンディーと螢一の顔を見ながら言った。


ニヤリと笑う、その表情は、まさに策士さながらのようで
何を画策しているのが気が気じゃない。
そんな顔をしていたのを、また見抜かれた螢一。
「螢一…変な顔しているぞ?」
ニヤニヤと笑いながらウルドは言った。


「ま、あたしが居ない間に、妙な事はしないでね」
スックと立ち上がったウルドは、神妙な顔で
螢一を見詰めた。そして
「まぁ…それは無いか…」と、またニヤリと笑った。


「み、妙な事って何だよ!」反論する螢一。
「ま、良いじゃない…する勇気があればって事で」
螢一の反論を、華麗にスルーしたウルドは、出掛ける用意
をすると言って、部屋を後にした。


「姉さん、いってらっしゃい」
何故だかとても嬉しそうに送り出すベルダンディーだった。



スクルド、ウルドと言った面子が居ない森里家は
普段の喧騒から一変して、静寂に包まれて行く。
サイレント・ノイズと言うのか、シーンと音がしていた
主のいない各々の部屋にも、本当の静寂が訪れる位の時が
流れて、辺りは薄暗くなる。


夕方、そろそろスクルドのご帰還の時間が迫って来た。
その時、矢庭に鳴る玄関先の黒電話。
「はいは〜い」とベルダンディーは受話器を外して
電話に出た。
「あ、スクルド? うんうん…そうなの…」
どうやら相手先は、スクルドのようであった。
「分かったわ、でもちゃんとご家族の方にお礼しなくちゃ
いけないわよ? それで…あ…」
どうやら一方的に切れてしまったようだ。


「どうしたの?どこからの電話だったの?」
心配そうに顔を出した螢一は、電話のそばまで来て
「まさか…天上界の…」と顔色を変える。
それを見てベルダンディーは、首を横に振り
「違います、螢一さんっ あのね、スクルドからなの」
スクルドは、仙太郎君の所にお泊りすると言う。
運動会で、とても熱心に仙太郎君を応援してくれたと
彼の両親が感激したそうで、運動会が終わった後に
そのまま彼の家に招かれたそうだ。
夕食を済ませて後、明日、仙太郎君は代休なので
どうせなら今夜は泊まって、明日の朝帰ると言う。


「大丈夫なのかい?」
「ええ、私も後日、お礼に参ろうと思ってますので」
「いや、それもあるけど…問題は無いのかな?」
「問題とは?」
「あ、いや…」とそこで、昼間のウルドの発言を思い出す
老婆心って言うか、父親の心境というか、何だろうか
妙な事にはならないよな?と心配になる螢一だった。


「大丈夫ですよ、スクルドと仙太郎君ですもの」
それに、とても良い経験になるわ、とベルダンディー
微笑んだ。



ベルダンディーと二人だけで食卓を囲み、二人だけの時間
を過ごす。
それは初めて出会った時のような感覚にも似ているが
確実に時は流れ、確実に二人の距離は縮まった、と思う。
食後、ふたりで縁側から見るともなしに庭を眺めていた。
夜空に月が浮かび、庭からは秋の虫の声が聞こえる。
「し、静かだね…」
「そうですね」
短い会話の後、また静寂に包まれる二人の空間。



誰も邪魔する者は居ない。


今夜の月だけが、ふたりを見守っていた。



 今夜の月は/

by belldan Goddess Life.


*** *** *** ***


妙に長い前奏部分って感じ(笑)
言いたい事は、この後に続きますが
掲載未定。まぁ、誰も読まないと思いますので
気が向けばって事で。