ベル・マーク

正月が過ぎて、俺が勤めている店ワール・ウインドも
忙しくなって来た。修理の依頼やら、客への納車とか
やる事が多過ぎて大変なのだが、スケジュール管理を
ベルダンディーがやってくれるので、なんとか無難に
事は進行している。


忙しいのは良い事だ。だが、それも過度だと色々と
弊害もあるってものだ。
「ただいま戻りました…あれ?ベルダンディー?」
お客さんのバイクを修理して、家まで届けた俺は
バスで帰って来たのだが、次の仕事が分からない。
そこでベルダンディーに聞こうとしたのだが...


「あ、ベルちゃんなら、ちょっとお使いに行って貰ったの」
店主である千尋さんが、両手に荷物を持って、裏から
戻って来た。
「そうなんですか…で、千尋さん?この後は?」
「ん?そうねぇ…ベルちゃんに聞いてみて?」
だから、肝心の彼女が居ないんですよ?と俺はひとりで
突っ込みをいれるのだが、それは空しい事だった。
取り敢えず、日報を見る。それからホワイト・ボードの
今日の欄を見る。まるで記号のような文字と、ペタペタと
貼られたメモ書きがあるだけ。


「はぁ...」
次にやるべき事、そして何より重要なのは、彼女が居ない
事なんだと、この混沌とした店の中を見渡した。


俺の心は無意識のまま、彼女を探している。


電話が鳴った。
「はいっ、ワール・ウインドですっ」
俺は受話器を取り、もしかしたら…と少し期待した。
「あ!森里先輩ですかっ? わたしですぅ…」
その声は、大学の自動車部の後輩で、現部長の長谷川だった。
「お〜久しぶりだな…どうしたんだ?」


長谷川は、例の大先輩達が部室へやって来て、慌しく何かを
探し出して、そのままどこかへ行ってしまったと言った。
「それで…部室が…」
半分泣き声の長谷川は、この混沌から救い出してくれる
王子様を探しているような、そんな心境だったのだろうか。
「田宮先輩たちが居ないなら、今のうちに片付けたら?」
俺は、多分それが一番的確なアドバイスだと思った。
「それが…男子部員を全員連れて行ってしまって…」
大きな物が動かせない、と言った。


「はぁ〜...」
こっちだって、仕事は押している…それに店の有り様も
部室にだって負けないくらいだと思う。
だけど…泣いてる後輩を、放って置く訳にもいかない。


千尋さんっ!俺、ちょっと用事が…」
後ろで、箱から備品を取り出して整理をしていた千尋さんに
振り返って事の次第を話してみた。
「森里くん?これでも店は忙しいのよね…でも…
自動車部の危機なら仕方ないわねぇ...」
そう言って苦笑する千尋さんだった。
「大体は見当が付くわ!アイツ等の仕業よね?!」
「はぁ、そうみたいですね...」


「行ってらっしゃい!ちゃんと面倒見てあげてねっ!」
そう言うと俺の背中をバシンと叩き、ウインクをする。
「はいっ すみません…では、行って来ますっ」
ホワイト・ボードの今日の日付の所に、部室へと書き込み
時間を書いた。




店から大学内の部室までは、そう遠くはないのだが
辿り着いた時は、すでに周辺は暗くなり掛けていた。
部室の明かりは…消えている。誰もいないのか?
もしかしたら…あの電話も先輩達の悪戯だったのか?
そんな不安も隠し切れないのだが、取りあえず俺はドアを
ノックした。
「長谷川〜?いるのか?」
返事は無かった。
「お〜い!誰か…」
ドアノブを捻って見た。ガチャリと回る。
「開いてるじゃん…」
薄暗い部室を覗き込むが、暗さに目が慣れるまで時間が
かかる。その中に動く者がいた。
「だ、誰だ?!」
慌てて俺はドアまで後退りし、部屋の明かりを付けようと
スイッチを探した。
薄暗かった部屋に明かりが灯ると、今までの不安は吹き飛ぶ
と思ったのだが、それには及ばなかった。
その動く者…それは、長谷川だった。
「は、長谷川っ!どうしたんだ?!」
電気も点けずに、その朦朧とした思考の海へと埋没したよう
な佇まいは、悲しみと憎しみで満ち溢れている。
「せ、先輩…あたし…」
混沌とした部室、まったく出鱈目に積み上げられた品々は
まさに宇宙が出来る前…カオスの様を呈している。
「まさか…これ程とは…」
俺は愕然とした。今まで、これ程のカオスを見た事がない。
長谷川を見ると、幾度と無く泣いた後が頬にあった。
一体どんな怪物…いや、この場合は、災難と言うべきか
あの先輩達は、まるで自然の驚異のようだと、改めて思う。
「だ、大丈夫か? 長谷川…」
俺の姿を見て、安堵の笑みを浮かべた長谷川だったが
その後、まるで生気を吸い取られたように眠ってしまった。
そりゃそうだろう…まさに地獄絵図のような部室の様相を
見ても、想像に難くない。


仕方なく俺は、長谷川の傍に行き、彼女の抱き上げた。
それから部室の入り口付近にある、唯一の避難場所である
ソファに座らせた。


さて…どうしたものか...


初めに言葉ありき…そう、神は言葉と共に在ったと言う。
ここに在れ、と思いを集中させ念じれば、そこに世界は
構築され、展開されていったと言う。
そんな事を考えながら、でも、どこから手を付けて良いのか
分からないので、取りあえず念じた。そして言葉にした。
「このカオス(部室)から、コスモス(整理整頓された部室)に
成れっ!」 と強く言葉にした。


閉じた目を開けてみた。
くっ…何も変わっちゃいない。まぁ、当たり前だけどな。
途方に暮れても仕方ない。出来る事から始めなくちゃ、と
ノロノロと動き出した。
ふと見ると、机の上に、何か箱が置いてあった。
「何だろう?」
蓋を開けてみると、そこには夥しい数のベルマークが在った。
「ベル…マーク?」
ああ、そう言えば部費の足しになるかと、俺が部長時代から
集めてたんだ。


ベル…


ベルダンディー


そんな繋がりからなのか? と俺は苦笑したが、その時の
気持ちは思い出せない。
でも、あれからこんなに沢山のベルマークが集まってたんだ
と思うと、実に感慨深いよな。
ふと一枚取り出して、額にペタッと貼って見た。
ベルダンディーのご利益が有りそうな気がして。
そして再び目を閉じて、こう呟いてみた。
「ここに幸あれっ 混沌から秩序へと、その様相を変えて」
なんて、ね。自分でも可笑しかったが、もしかしたらって
思ったんだ。


何も変わっちゃあいないケドな。


「やれやれ…どうしようか...」




「螢一…さんっ? あの…」
その声は、あまりにも麗しく華麗で、そして慈愛に満ちて
この混濁の海原を航海してしているような俺の耳には
まさに女神さまっの有り難い啓示だった。
「ベ、ベルダンディー!」
あ…そうか、店のホワイト・ボードに行き先を明記した事を
思い出した。
「どうしたんですか? あっ!長谷川さんっ!」
心配そうに長谷川を見つめ、そして俺に詰め寄る彼女は
「螢一さんっ! ちゃんと説明してくださいねっ!」
と、その透き通った瞳を、まっすぐに投げ掛けてくる。


待て、俺は部の後輩のSOSを聞いて駆け付けた、言わば
救助隊なんだ。
だが事態は深刻で、その救助隊である俺さえも遭難しそうな
勢いなのだ。
「あの…ベルダンディー...誤解してないよね?」


恐る恐るベルダンディーを見ると、彼女はすでに部室の様相
を見て、目を輝かせているではないか。
そうだった…彼女は、比類無き清掃好きなのだ。
「螢一…さんっ?もしかして、これを片付けに?」
ベルダンディーの瞳は、まっすぐ散乱された部室に釘付けで
俺の方は見ていない。
「あ、ああ…そうなんだ。どうやら先輩達が…」
その続きを言うまでも無く、ベルダンディー
「あの、私…お手伝いしても良いでしょうか?」と、
その神々しい顔を、にこやかな笑顔にかえてくる。
無論、反対なぞ出来る訳が無い。と言うか、救いの手を
差し伸べてくれた女神さまっの腕を振り解くつもりも、
毛頭無かった。
「ああ、頼むよ…本当に困っていたんだ」


「分かりましたっ ではっ!」
ベルダンディーは、実にテキパキと片づけを始めた。
自身の力と、法術を駆使しながら、その姿はまるで
優雅にダンスしているような感じだった。
彼女は法術をコマンドさせる際に歌を歌うのだが、これが
実に心地良い。
まるで眠りに誘われるかのようだ。
ふと長谷川を見ると、至福の様相を呈している。
きっと良い夢でも見ているのだろうな、と俺は思った。


時間にして数分、部室は混沌から秩序へと変貌を遂げ
以前以上に素晴らしく整頓された。
それに、なんだがとても良い香りがしている。
「出来ましたっ! 螢一さんっ…あ、私ったら…ごめんなさい
ひとりで全てしちゃいました…あの、迷惑だったかしら?」
「い、いや!トンでもない!ありがとう、助かったよっ!」
俺たちは笑いあった。
ベルダンディーは、満足した笑いで。
俺は、ちょっと乾いた笑いで。


「あ、螢一さんっ ちょっと待ってくださいねっ」
ベルダンディーは、俺の額に付いていたベル・マークを
指で摘んで取ると、微笑みながら
「これで最後…ですよねっ」
と言って、ベル・マークを入れていた箱に戻した。




まさか、ベル・マークを付けて、彼女のマネをしてたなんて
言える訳ないよね。



 ベル・マーク。


by belldan Goddess Life.


*** *** ***


以前、電話のベルだとか、非常ベル、ベル・マーク等
そんな言葉にも動揺していた自分の姿を描きたくて(笑)