心で奏でるもの

猫実市の小高い丘にある他力本願寺の裏庭から、柔らかな声が
響き渡る。それは小鳥達の囀り、それとも季節風が木々を揺らす音
なのか。自然の中にある音の粒をすくい取って、それを掌に包んで
慈しむ様に声を揃える。木々の陰影、木漏れ日、影絵のように姿を
変えながら時間と共に移り行く。
歌い主は、両手を胸の上に重ねて祈りを捧げる。
そして閉じていた瞳が開かれ、噤んでいた口元から音楽が流れた。


世界は巡り行く季節の中を、こんなにも美しい音と共に在るのか。
渡り鳥の群れが上空を通過しようとして、ふと寺の小さな森の木立
に、その羽を休めた。しばしの静観、音も立てずにその耳を欹てて
じっと声の主の方に傾注していた。
悪戯なつむじ風が木々を揺らした。慌ててその場を立とうとする
鳥達は、実に名残惜しそうに歌い主の上を旋回し、そして別れを
告げるのだった。


「ありがとう、鳥さん・・・」
ベルダンディーは、心でそっとつぶやいた。


もし、この近くの通る人が居たとしたのなら、必ずと言っていい
その者は足を止めて、しばしの快楽に身を落とす事となるだろう。
ご近所の方たちは、時折その恩恵に預かっているのだが、だからと
言ってベルダンディーに歌を強要する者は居ない。
あくまでも、これは出会った者のみが得られる幸運、と言う事に
なるのだ。


しかし、まぁ・・・その幸運を独り占めしている男性も居る。
その代償として、彼は計り知れない運命を歩いてくのだが、それは
また別の話となる。


ちょうど、その男のご帰還、と相成った。


曲がりくねった山坂道を、乾いた排気音が大きく小さく木霊して
だんだんと他力本願寺の方へと近づいて来る。
古いドイツのバイクにサイドカーを取り付けた森里螢一の愛車は
オスカーリーブマン風に仕上げられて、彼の趣味そのものだ。
磨き上げられた車体と、整備された精密機械のようなエンジンから
まるで楽器のような音色が奏でられていた。
その姿は、まるで人馬一体となって、山道をすべるようにして
進んで行く。
風を切り、風に乗って、そして風のままに遊ぶようにバイクは
目的地へと辿り着いた。


楽しい・・・それが心から湧き上がってくる気持ちだった。


バイクの整備も万全を期したし、とてもたくさんの運転もして来た。
多くの失敗や挫折から、時には逃げ出したり、時には立ち向かった。
多くの仲間、先輩からたくさんの事を教わった。
もちろん・・・自分だって、ちょっとくらいは努力はしたさ。
エンジンを止めて、ヘルメットを外した。
心地良い緊張感と汗でベッタリとしている髪を手で救い上げると
ほのかに優しい風を感じた。
「ふ〜気持ち良いなぁ」
何事にも代えれない満足感は、そのまま感謝の思いになる。
「いつも、ありがとう、な」
コツンとバイクのタンクを叩く。いつもの儀式だ。


「螢一さんっ!おかえりなさい〜」
いつもの母屋からではなく、裏庭からベルダンディーが声を掛けた。
「うん、ただいまーベルダンディー
また、歌っていたのかな?と螢一は思う。
「歌ってたんだね、聞きたかったなぁ」
螢一は素直に伝えた。
「はいっ、今日は鳥さん達がわざわざ聞きに来てくれたんですっ」
ベルダンディーの満面の笑みを見ると、こちらまで幸せになる。
「楽しかったです〜うふふっ」


「でも・・・」
「でも・・・?」
「螢一さんっも、楽しかったみたいですねっ!」
「うん・・・分かるんだ」
「ええ」
ベルダンディーは、そう言うと螢一のバイクの傍まで行って
「だって、この子、とても嬉しそうにしているんですもの!」
そう言ってバイクのタンクを撫でる。
「ちょっと、うれやましいなぁ・・・なんて」
エヘッと照れ笑いをしたベルダンディーだった。


「実は言うとさ、俺も鳥達がうらやましい、なんて、ね」
螢一も応えて苦笑する。


どちらかともなく、そっと差し出された手がふたりを繋ぐと
ベルダンディーは、ふたりを包む優しいオーラを感じて
嬉しくて泣きそうになってしまった。
「螢一さんっ・・・」
「どうしたの?」
「ううん、何でもないんですっ」
ベルダンディー・・・」


重なるシルエットが、その日一番の音楽を奏でていた。



 音楽は心で奏でるものです。 FIN.


by belldan Goddess Life.


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BGM:辻井伸行氏(ピアニスト)