彼女のバイク

薫風そよぐ青空の下、乾いた排気音が山坂道に木霊する。
サイドカーで彼女が、とても心地良さそうに微笑んでいた。
「気持ち良いです〜」
そう言うと彼の方へと笑顔を向ける。


五月のある晴れた日。


彼女の笑顔に笑顔で受け答えして、そしてまた目線を前方へと向けた。
山形に沿ったひとつひとつのカーブを、丁寧にトレースするように
右へ左へとバイクは進んで行く。
まるでダンスしているみたいだわ、と彼女は感じる。
決められたステップを確実に、だけどとても自由に踊るっている。
そんな感じ、と彼女は思う訳だ。私も一緒に踊りたい、と。
ヘルメット越しでは、直接風を感じる事は出来ないけど、でも息吹は
分かるもの、だからちょっと嬉しくなって、声を合わせる。


カーブが近づく度に減速して、ギアをひとつ下げる。一番的確なライン
を見付けて、バイクは進入して行く。クリッピングポイントから加速
して、コーナーを脱出したら、ギアをひとつ上げて加速して行く。
一連の操作は、まるで正確なリズムを刻んでいるようだ。
そのリズムに合わせて、歌が聞えて来る。彼女の声だ。
まるで俺たち、楽団のようだな、と彼は思う。


アクセルを開ける。スピードに乗る。風と共に彼女の歌を流して。


「ただいま」
辿り着いた先は、彼らの住まう場所。
山の中腹の古いお寺の母屋だ。
裏門からバイクを入れた。簡単な屋根のあるガレージへとバイクは
向かう。エンジンを切り、ヘルメットを脱いだ。
コツンと燃料タンクを叩く。これはひとつの儀式だ。
「ご苦労様」とか「お疲れ様」みたいな感じの。
彼女はメルメットを脱いで、それまで押し込められていた長い髪を
開放する。
外気に晒された栗色の髪は、風を受けて優しく香る。
サイドカーのウインドシールをそっと撫でる。これもひとつの儀式だ。
「ありがとう」とか「楽しかったわ」みたいな感じで。


五月のある晴れた日。


「ふふっ」彼女は笑う。
「どうしたの?」彼は尋ねた。
「だって螢一さんっ、楽しそうだもの。それにこの子だって・・・」
「この子?」
「ええ、この子」彼女はバイクを指差して、そっとタンクに触れた。


「嬉しいって、言ってました」
女神さまっの微笑みは、空気まで伝播するのだろうか。
「もっともっと、走りたいって」
彼女は彼を見詰めて
「・・・私も、そう思いますっ」愛しい者を見詰めるように微笑む。


「・・・そうか、うん」
その時、頭の中に以前、千尋さんが言っていた例のエンジンの事が
過ぎった。モアパワー、モアスピードは欲しいけど、でも彼女が
こんなに思うのなら、今はまだこれで良いのかも。
「これからも、よろしくな 相棒」
彼はタンクに手を置いた。


彼の手に添えるようにして、彼女も手を置く。
「私たちも、この子も、家族なんですもの」
と、彼女は微笑んだ。


彼女のバイク。


by belldan Goddess Life.


*** *** ***


風薫る五月に。